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戦没者記念日、そして61回目の独立記念日。


 イスラエルでは、昨日の夜から戦没者記念日です。建国前の1860年から現在まで、22,570名に至る戦没者を記憶する日。ここ1年で、新たに133人の戦没者名が加わったそうです。

エルサレム「西の壁」での記念式典
【西の壁での記念式典】(Ynetより転載)

 イスラエルでは10代の若い兵士であっても、職業軍人であっても、戦没者として同様の扱いです。軍人墓地のあるヘルツェル丘に行くと、兵士の墓がすべて同じであることに気付きます。

 軍での階級などに関係なく、貴い1つの魂であるという認識からなのでしょう。生命を尊ぶユダヤ教の一面を垣間見る思いがします。

 昨夜の式典でのペレス大統領の演説を要約すると――

 「建国以来61年間、私たちは子供たちを葬ってきました。際限のない悲しみに覆われます。しかし近年も、私たちの存在への脅迫は止むことがなく、私たちには逃げずに戦うしか道がないのです。私たちは戦争を望みません。しかしこれを強いられる時、私たちの友人にも、私たちを憎む者にも、等しく私は申し上げたい。どうぞ、正しい側に立ってください」

 今年は日本の主権回復記念日と重なったのも、不思議な巡り合わせですね。今夜から、イスラエル独立記念日の祭典が始まります。

 ★イスラエル情報なら――隔月刊雑誌「みるとす」
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ホロコースト……ヘブライ語ではショアーと言います。


 今日はヨム・ハショアー(ホロコースト記念日)。ホロコーストとは焼き尽くすとの意味だそうですが、イスラエルでは今日一日、自分たちの同胞に起きた大惨事に思いをはせ、静かに一日を過ごします。

 イスラエルのラジオ(ガレー・ツァハル)を聞いていると、様々な番組が特集されています。主に、生き証人による証言。生々しい体験談は、聞くに堪えないものばかりです。でも、それが現実だったのです。目の前で愛する家族が一人残らずい惨殺されても、生き延びた人々がいます。

 「本当に勇気のある人間は、ここぞというときに死ねる人間でなく、生きるという選択のできる人間だ」との正岡子規の言葉を思い出します。60数年の月日を経て、生き残った人々も高齢に達しました。生きた証人として証言できるのはあと何年でしょうか。

 十数年前にロードショーとなった映画「シンドラーのリスト」を、私はイスラエルで観ました。同じ映画館で隣に座って観ていた人々は、ホロコーストの生き残りの人々。あの映画の中でも、目を背けたくなるシーンが多々あります。それ故に、スピルバーグ監督も映画全体を白黒にしたとか。

 しかし、生き証人曰く、「あんなに生やさしいものではなかった」と。私は言葉を失いました。想像を絶するとはこのことだと思いました。体験した者でしか語れない壮絶さ。だからこそ、思い出すのも辛い内容を、次の世代に伝える使命という一点において、彼らは重い口を開き、今日一日は公共の電波にのせて語り続けます。

 ときあたかも、昨日から「人種差別撤廃会議」なるものがスイスにて開かれているそうですが、ホロコースト否定論者のイラン大統領参加によって、物議を醸し出しています。

 今日くらいは、日本人の私も静かにこの「人類最大の罪」について、証言に謙虚に耳を傾け、心に留めたいと思っています。

 ホロコースト関連書籍
 ★ユダヤ人はなぜ迫害されたか
 ★アラブはなぜユダヤを嫌うのか
 ★ユダヤ人の歴史

今夕からホロコースト記念日が始まります。


 4月29日は、イスラエル独立記念日ですが、その前に記念日が2つあります。1つは、ホロコースト記念日、もう1つは戦没者記念日。

 ホロコースト記念日は4月20日の夕方(現地時間)から丸一日。この日ばかりは、町中の娯楽施設は自粛閉鎖され、ラジオではホロコーストを記念する歌が歌われ、とにかく派手な一切のものから遮断します。

 1日に何度か全イスラエルにサイレンが鳴り響き、皆その場に数分間立ちつくして黙祷。歩いている者は立ち止まり、自動車を運転している者は脇に止めて車から降り、バスもその場に停車し乗客はその場で立って黙祷します。

 その徹底ぶりは驚くばかりです。ちなみに、戦没者記念日は4月27日の夕方から始まります。

 ミルトスでもホロコーストに関連した書籍がありますので、ご参考まで。

 ★ユダヤ人はなぜ迫害されたか
 ★アラブはなぜユダヤを嫌うのか
 ★ユダヤ人の歴史

新緑の春。そこで『聖書と自然と日本の心』を手にとってみると……

 九段の桜も散り始め、新緑かおる春となりました。東京では20度を超える暑い日が続いております。

 忙しく毎日を過ごしている間は、なかなか四季を感じる余裕もないようですが、最近ようやく空を見上げる心の余裕が出てきたように思います。

 空を見上げ、景色を眺めて四季を感じるなんて、一瞬の出来事なのですが、心の余裕がないと、この数秒の動作がなかなかできないものなんです。そう、心の問題なんですよね。

 そんな今日この頃。改めて、池田裕著『聖書と自然と日本の心』を手に取ってみました。

聖書と自然と日本の心

 この本は、4つの章に分かれています。章タイトルだけではわからないのですが、実は春夏秋冬の区切りとなっています。

 冒頭「はじめに」には、ある庭師の話が載っています。曰く、桜を植える時は、必ず楓(かえで)を一緒に植えろ、というのです。なぜでしょうか。

 それは、他の木から刺激を受けることによって「自分の美にさらに磨きをかけようとする」のだとか。とても興味深い話ですね。木も会話をするのだそうです。

 多くの刺激を受けて育ったものは、その後も刺激を求め続けて生きる。自然や歴史を通しさまざまな刺激を受けて育った聖書は、本質的に、他からの刺激と対話を求めてやまない書だ。(p2)

 故に、まったく異なる文化を持つ日本の心との対話を、聖書は待っている、と池田氏は述べています。聖書は決して遠い書ではなく、そこには日本人だからわかる世界がある、とも。

 この春、オススメの書です。
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